南米バックパック旅行記

30代既婚女子が仕事を辞めて南米バックパックをする旅行記。

旅の洗礼。

日本を出ておよそ3週間たちます。

これまでトラブルらしいトラブルは全くなかった私ですが、

とうとうここで初めてバタバタしまして、

旅らしくなってきました。笑

 

 

ウユニの町から2泊3日でチリの国境付近まで行って帰ってくるツアーに参加していたのですが、

ツアーの帰りに、ウユニへ続く道を封鎖するというストライキが起こり、

ウユニへの帰り道が断たれてしまう、

というトラブルがありました。

 

それだけならまだいいのですが、

夕方5時にウユニの街へ戻るはずだったので、

同日の夜8時にラパスという町へ移動するためのバスのチケットを持っていました。

(しかも高級バスのとっても良い席!(;_;))

 

その上、バスで移動した先のラパスからアルゼンチンへ向けて移動する飛行機があったので、

なんとしても早くラパスへ行かねばならない!という状況でした。

さすがに一瞬青ざめました。

 

ウユニへ続く主要道路が断たれてしまったことで、

かなりの大回りでほぼ反対側から回り込むようなルートでウユニへ戻る事を試みます。

トヨタランドクルーザー

砂漠の中の道なき道を、ガッタンガッタン走り続け、

岩を乗り越え川を越えて、時には車が煙を出しながら、

なんとかドライバーさん達が工夫をしてくれて、地図にもない道を抜けて、

そしたらまた封鎖があるとのことで引き返してまた別の道を探し…

 

 

砂漠でツアーに行ってた色んなツアー会社の車がだんご状態で立ち往生。

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みんなで道なき道を走っていきます。これはこれで圧巻でした。

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玄人ドライバーさん達がどの道を行こうかと作戦会議を頻繁に行いながら進みます。

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そんなこんなで、ようやっとウユニの街へ着いたのが夜の10時…

もちろん予約していたバスはとっくに出発済み。
加えて、ウユニの街にもう一泊する為の宿の確保がとりあえず先決。

それまで泊まっていたホステルにその日の宿泊を頼むも、

たまたま英語がほとんどできないスタッフしかおらず、
「空いてる部屋も全て予約で埋まっている」の一点張り。

夜10時で、
身体中、砂埃だらけで、
その日12時間以上砂漠を走り続けてお尻も身体も痛くて、
これから重くて大きいバックパックを持って、

夜の町へ宿探しに歩かなければならないかと思うと
さすがに泣きたくなりました。


ところがしかーし!
ここで天の助けが!
私と全く同じ境遇だったカナダ人の女性が、ちょうどフロントにやってきて、
同じように泊めてくれと、頼み出したのです。
私との大きな違いは、彼女スペイン語ペラペラということ。

最初は私と同じく空きの部屋はないと言われていたものの、
今日一日がどんなに大変だったか、ここで泊めてもらえないとどれだけ困るか、

スペイン語でものすごい勢いでまくしたて、

お願い!お願い!!お願いっ!!!と泣きそうになりながら頼み込んだのです。

そうすると…
「それはそれは大変でしたね…なんとか出来ないか考えるのでちょっと待ってくださいね」

ということに。

そうすると…
“予約としてはもう一杯だけど、ツインの部屋を予約した人がまだ来てない。あと30分待ってその人たちが来なかったら、泊まってもいいですよ。”ということに…!!

優しいカナダ人の彼女は私と部屋をシェアする?と聞いてくれまして、

そのようにとり計ってくれました(涙涙涙)
30分後にオッケーが出た時は2人でハイタッチでした!

そう言えばまだ晩ご飯を食べてなかった私達は、

私が非常食用にとっておいたカップラーメンを一緒に夜中に食べて色んな話をしました。

彼女は38歳でなんと大学教授だそう!(しかも31歳から大学教授やってるのだと…!)
きっとものすごく優秀なんだわ。

カナダモントリオールの大学で、
1セメスター教えて、1セメスター休む、という働き方をしているそう。
だから休みのセメスターはいつも色々旅行へ行っているとのこと。

お休みの時も論文は書いたりしなきゃいけないみたいだけど。
それも助手がいて手伝ってくれるらしい。

何があなたをそんなアクティブな人生にさせたの?って聞いたら、
子供の頃からそうだったんだって。


なんと8歳の時には両親に一人暮らしをしたい、って宣言してて、

高校も授業が簡単で退屈で飛び級して、
16歳の時にはフランス語を教えにブラジルへ一人で行ったとか。。

なんたる人生…。


両親や家族の影響なの?って聞いたんだけど、
家族はお姉さんも含めてそんな感じじゃないらしい。

なんで自分がそうなったかは自分でも分からない、って。笑

すごいなー、そんな生き方羨ましいなー、って言ってたら、
いい事ばかりじゃないし、嫌なこともたくさんあるし、
色んなものを犠牲にもしてきた、って言ってた。

その彼女の言葉が重かった。
きっとそうなんだろうな。

本当はもっと彼女のことを知りたかったけど、
2人とも泥のように寝てたから、朝になって、

「げ!15分後に私のバスが出る!」って言ってバタバタと出て行きました。笑
意外に適当なのも彼女の魅力なんだろうな。

一緒にいた時間は短かったけれど、本当に恩人です。
そして、なんとも魅力のある人でした。

あれ、トラブルの話をしようと思ってたのに、いつのまにかありがたかった話に???

つまり、結果これで良かったという事です。笑

ラパスからのフライトに間に合うよう、ウユニからの移動はバスではなく、飛行機に変更。
残り2席だったフライトをギリギリにゲット。

飛行機にしたことで、ラパス市内の観光もちゃんとできて、結果全てオッケー。

お金が若干余計にかかったことと体力奪われたこと以外はむしろこれで良かった^ ^
(でも、ウユニ〜ラパスのフライト代は保険おりるといいな…ストライキとかいけるのかな…申請してみよう…)

ちなみに、他のツアー会社で同じコースのツアーに参加していた人に聞いたら、
途中で5キロくらい車降りて歩かされて、

夜中3時半にウユニに帰ってきたとのこと。。。
しかもウユニにまだ帰って来れていない人もいるとか。


何だかんだ私はラッキーだったようです。

ちなみに、
今回起こったストライキというのは、(色んな人の噂話を繋ぎ合わせると)
ウユニの坑夫達が、ボリビア政府に対して抗議する為に起こしたものらしい。
彼らがより仕事をしやすくする為の道を整備すると政府がいい続けているのに、

一向に実行に移さないので、それに対して怒っていて、

観光の町であるウユニに来る観光客が最も困るよう、

道を塞いだり、壊したり、なんなら銃を持って待ち構えていたりしたらしい。。
なかなかハードな抗議です。


ということで、長くなりましたが、

また思い出深い旅の思い出の1ページになりました。

そして、もうこの世の中英語だけじゃ全然ダメだと痛感…。
3ヶ国語、4ヶ国語話せる人なんてざらにいます。
スペイン語でもなんでもいいけど、別の言語、ちゃんと勉強するかな…。

あ、2泊3日ツアーもなかなか素敵だったので、次回の記事であげます!


最後に写真をいくつか。
いつも以上に話があっちゃこっちゃですみません。

 

ここ以下はツアーの中で再度回ったウユニ塩湖での写真。

この日もキレイに撮れました。

 

本当にここは絶景です。

いい写真を撮るだけでなく、裸足で歩いて空を見上げるだけで、本当に気持ちいい。

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鏡張り1

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鏡張り2

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トリック写真

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これは塩でできた、塩のホテル。

ここで昼ごはんを食べました。

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夕焼けの中、これまた美しい。夢の中にいるようで言葉を失います。

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おっきい車ってカッコいいなぁ、とこの旅でしみじみ。

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